私たちのからだはどうなっているのか、科学の発達が、次々に細部まで明らかにしてくれました。とりわけ、遺伝子に関する研究が長足の進歩を遂げ、驚かされるばかりです。考古学は考古学で、人類の歴史をどんどんさかのぼり、一枚また一枚とベールをはがしていきます。どこまでもミクロの世界へ、どこまでも太古の世界へ。探求心旺盛な人間のことですから、人類は「いつ」「どのようにして」つくられたのか、その情報はもっともっと私たちの手元へ届けられることでしょう。
しかし、どうしても分からないことがあります。それは、人間は「誰が」「なんのために」つくったのか、ということです。それは、人間を創造した「元の親」に尋ねる以外に術はないのでしょうか。
教祖が自ら筆を執られた書き物に、「月日(神)には人間創めかけたのは、陽気遊山が見たいゆえから」とあります。人間が陽気ぐらしするのを見て、神も共に楽しみたい、というわけです。
各自勝手の陽気ではなく、ほかの人々を勇ませてこそ真の陽気とうたわれます。それは、互いに立て合いたすけ合うこと。
人間はそれぞれ異なります。そのそれぞれの個性を持った人間が、互いに良いところを伸ばし合い、足りないところは補い合って、たすけたりたすけられたりしながら、共に生きることをいいます。
陽気ぐらしこそが、私たち人間の生きる目的なのです。

                  ※道友社刊『はじめてシリーズ3 天理教がわかる本』より