水に学ぶ心の使い方  天理時報 特別号より

水はすべての生き物にとって、なくてはならないもの。人は古来、水の持つ性質からさまざまな教訓や知恵を得てきました。水に学ぶ心の使い方として、先人の悟りの一端をご紹介します。

水は潤い

水は低きに


庭の草木がしおれていたら、人は無造作に水を与えるであろう。水の潤いが元気を与えると信じているからである。欠点の持ち主や、知ってか知らずか間違ったことをした人に接するとき、その人の短所をとがめ立てしたり、憎んだり排斥したりするのは、ちょうど枯れかかった草木をつついて生命を奪おうとするようなものである。人も木も潤ってこそ生かされるものである。潤いのある心の成長を心がけねばならぬ。


水を流せば、必ずや低い方へと流れてゆく。途中にある木の葉や木の切れを浮かべて流れてゆく。人を動かそうとするとき、自分だけが一生懸命に動いても相手の心が、大地にベッタリとついている間は決して動かない。動かす前に、まず浮かべねばならぬ。浮かべるには、相手の足元に心を置かねばならぬ。低く出れば相手は浮かび、浮かべば動き始めるのである。水の低き心こそ、一切を動かす力である。


水は洗う

人の世に不平不満があるのも、醜い争いがあるのも、失望落胆があるのも、結局は心の汚れの表れなのである。水の精神に生き通そうとする者は、自らの心の汚れを洗いきると同時に、日々触れ合ってゆくものの一切を、洗い清めて通らせてもらわなければならない。心を洗うただ一つの道は、天の理に従って、人の幸福を目標に動き回り、そうして、もまれてもまれて喜ぶうちに、いつとはなしに清められてゆくのである。

水は素直

人の一生を通算すると、驚くべきたくさんの人と交わるのである。この雑多の人々を、自分の気に入るようにしようなどと考えても、それは所詮、能わぬことなのである。周囲の人たちを自分の型にはめようとすることをやめて、自分が周囲のほうに添って通る。すなわち、水が方円の器に従って、水の性質を失わないように、自分の携わっていることの中に自分を溶け込ますことが、自らの本質を生かす唯一の道である。